相変わらず毎日、麦の散歩で田んぼの中を歩いている。

だいぶ涼しくなったのを通り越して、最近、朝は結構寒い。

犬にとっては心地いいのだろう、麦は最近楽しそうだ。


稲がだいぶ刈り取られ、辺りがさっぱりとした印象になってきた。

昔から人は、この稲のサイクルを身近に感じながら生きてきたのだろうな。


朝は6時頃、麦の散歩に出掛ける。

ちょうど良い散歩コースでもあるので、早朝は年配の人とよくすれ違う。

田舎なので、人とすれ違うと挨拶しない方が不自然で、雑談できる人なんかも結構できてきた。


それにしても、この日はよく人にすれ違うものだな、と思い、数えてみた。

全員、おそらく65歳以上だろうと思われる方々に、11人すれ違った。

そして12人目は、うちのオヤジだった。


この田舎で12人というのは、都会に比べるそれとはわけが違う。

しかも若い人は誰もいない。

日本の超高齢化を、肌をもって感じたのであった。


うちの子供を預かってもらっている学童がある。

そこに高齢の男性がおられるのだが、この人がなかなかパワフルなのだ。

膝が痛いと言われる割りには、運動場で子ども達と走り回っていたりする。

曰く、私腹を肥やすだけの老人はいらない。社会の役に立ってこそだ。働かざる者食うべからず!という事を熱弁される。そしてとても共感できるのだ。


自分も、そういう昭和的な老人になっていきたいと思うのだ。

ゆえに、自分の両親には、動けるうちは、求められるうちは働け~。と言って尻を叩きまくっている。


人間は生存本能からか、つい、自分の事を中心に考えてしまうものだと思う。

それも大事な事だとは思うが、子ども達こそが未来だろう。

みんなで子ども達を育てていくことが大切だと思うのだ。


近所には、子ども達の登校時、学校まで一緒に歩いてくれる年配者もおられる。

ただただ感謝である。

人間も稲も、サイクルを繰り返す、という点では同じようなものかもしれない。

年をとったら若い人に託し、若い人はそれを糧にし、より良い世の中を作ってゆく。

そしていつか自分が年老いたとき、経験や知識やなんやかやを、次の世代に伝えていくのだ。


中年の自分は、7割挑戦、3割伝授、という感じになってきた。

教えていくにしても、やはり自分の仕事はしっかりしておかないと、中身が空っぽの人間に教わっては元も子もない。

逆に学生から教わって、知りたいと思う欲求も確実に高まってきている。

教えたつもりになっている自分は、実は色々と教わってもいるのだ。

これがより大きな年代の交流ということになれば、まさに大きなウネリが生まれそうだ。


なので、超高齢化社会はマイナスばかりではなく、老人が元気になれば、色々と良いサイクルに繋がりそうだ。

日本にはそれだけ多くのストックがあるという事なので、次は色んな年代を繋ぐような活動でもしてみようか。とか考えてしまう。


しっかりと考えて、生きていきたい。

つまり人間は、一本の考える稲だと言っても腑に落ちるのだ。


 

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